マイ・ストーリー(社会人編その1)

大学卒業後、1984年(昭和59年)に
某総合電機メーカーH社に
入社しました。

2週間の新人集合研修が終了後、
各工場に配属されました。

入社前年にIBMスパイ事件があり、
ソフトウェアの危機が叫ばれて
いた中で、ソフトウェア工場を
第一希望にしました。

しかし、第二希望である
ストレージ専門工場である
小田原工場への配属でした。

配属後、1週間の新人研修後、
2ヶ月間の現場実習に入りました。

5月の連休後のある日、勤労課に
呼び出されました。

何かやってしまったかと思い、
ビクビクしていたところ、
勤労課の主任から君はもう配属が
システム設計部に決まっている。

ついては、7月21日から
システム開発研究所にシステム・
ソフト開発(SS)実習員として、
1年間行って欲しいと告げられました。

7月20日に配属先の上司への挨拶も
そこそこに、システム開発研究所へ
赴任しました。

システム開発研究所では、
コンピュータの基礎知識から
ソフトウェア理論、ソフトウェアの
設計からテストに至るまで
叩き込まれました。

毎週1回、4時間位教育があり、
宿題が出されて、レポートを
毎週提出するという忙しい日々を
過ごしました。

また、SS実習では、製品開発のための
シミュレーターを設計・開発し、
メインフレームのアセンブラで
4.5Kステップ、マルチタスク動作で
完成させました。

1985年(昭和60年)7月21日に
小田原工場に帰任し、1989年(平成元年)
3月までカートリッジ型マグネティック
テープ(MT)を動作させる制御プログラムの
開発・保守に従事しました。

私が担当したところは、この中の
MTドライブを制御、テープ上の
フォーマットをチェックする
制御プログラムです。

そのプログラムは専用アセンブラで、
MTドライブを制御する部分の
4.5Kステップを作成しました。

テープフォーマットをチェックする
部分は他の担当者が作成し、私と
取りまとめ者の3人でデバック、
テストを行いました。

新規開発のため、お手本がなく、
製品開発から製品出荷後の保守まで
苦労しました。

当時、平日は午前様、休日出勤も
当たり前という状態で、よく体が
持ったなと思います。

1989年(平成元年)4月より、
2000年(平成12年)6月まで、
メインフレーム向け半導体記憶装置の
制御プログラムの開発・保守に
従事しました。

最初は、ハイスピードアクセス機の
開発ということで、マイクロプロセッサへ
変更ということで、制御プログラムの
要件定義から設計・テスト・保守まで
一貫してプロジェクトの取りまとめを
しました。

この次の製品として、光インタフェースの
サポートも一貫してプロジェクトの
取りまとめを担当しました。

半導体記憶装置は、社外事故も多く、
社外事故対策もすべての機種を
担当しました。

1994年(平成6年)4月より、
半導体記憶装置の制御プログラムの
保守を担当するかたわら、大型RAIDの
お客様対応、装置の動作検証、
一部機能の制御プログラムの開発を
担当しました。

2000年(平成12年)2月に女房と
結婚しました。

2000年6月以降のマイ・ストーリーは
社会人編その2・その3として、
書いていきます。